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相州貞宗写し刀剣復古論実践刀そのもの最上作『刻印(水心子正秀』特別保存刀剣!上級拵え付最高傑作

銘文 『刻印(水心子正秀』 種別 刀 長さ 67.6センチ 反り2.6センチ 大阪府教育委員会  元幅30ミリ  元重5.8ミリ 先幅22ミリ 先重3.8ミリ 刀身522重量グラム (約です) 本作は実際に存在していた相州貞宗を茎形状、目釘穴、出来まで忠実に寫した名刀でその当時おそらくは資料があったために本阿弥光遜の折紙にも異例の貞宗写しの一筆が入っております。刀剣復古論で正秀は有名ですが、実際にここまで忠実に寫した作品は現存稀であり、非常に希少です。、鍛えは小板目に地景入り、地沸厚く、刃文は湾れに足繁く入り、金筋・砂流ししきりに入り、刃中明るく、匂深く小沸が良く付きます。素晴らしい名刀です。 寛延3年(1750年)出羽米沢藩領の中山村諏訪原(現、南陽市元中山字諏訪原366-1)に生まれる。 本名は鈴木三治郎 父を早くに亡くし、母の実家である赤湯町外山家に母、兄太兵衛とともに移り育つ。古い膳に灰を敷きそれに字を書いて手習いをしたという。 外山某に入門して野鍛冶となり、のち鍛冶の基礎を下長井小出の吉沢三次郎に学ぶ。このころ「鈴木三郎宅英」と切る。 刀工を志して山形へ戻り、名を英国と改める。 更に明和8年(1771年)、22歳の時に武州八王子の宮川吉英の下で腕を磨き、山形に戻る。 安永3年(1774年)、山形藩2代藩主秋元永朝(館林藩秋元家8代)に召抱えられ、ここで川部儀八郎正秀と名乗り、「水心子」と号した。 過去の作刀の研究を続け名工の子孫に教えを請い、中でも寛政元年(1789年)、刀工正宗の子孫、山村綱廣(同家は代々綱廣を名乗る)に入門し、秘伝書を授けられた。その後も研鑽を続け、泰平の世で衰退しつつあった日本刀に大きな影響を与えた。 水心子正秀は、「新々刀」の祖として知られる。世の太平に慣れ、刀も弱い作りになっていたのに反発し、南北朝~室町初期頃の古刀を理想像としてその再現をめざした。新々刀期における日本刀の中で、水心子正秀とその弟子「大慶直胤」、別系統出身の「源清麿」の3人の名工が鍛刀した作例を「江戸三作」という。 なお、付属の拵えも恐らく同時代に作成されている最上級の拵えです。まさに相州貞宗が入っていてもおかしくないふさわしい拵え

相州貞宗写し刀剣復古論実践刀そのもの最上作『刻印(水心子正秀』特別保存刀剣!上級拵え付最高傑作

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1,980,000円 (税込)

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