銘文『肥前国住近江大掾藤原忠広』『同国住人陸奥守忠吉』 種別 刀 長さ 71.6センチ 反り 1.4センチ 元幅34ミリ 元重7.5ミリ 先幅23ミリ 先重5.5ミリ 刀身832グラム (すべて約です) 東京都教育委員会
三代陸奥と忠広の最高傑作です。脇差ではなく御刀での両者の合作刀の現存は大変希少であり唯一無二と云えるでしょう。
出来は流石は最上作と云わんばかりの大迫力の出来で、特有の梨地肌は大変良く詰み、刃文は覇気ある大迫力の互の目乱で、金筋頻りに走り、沸匂深く、ありとあらゆる働きが見られる一線を逸脱したこれぞ肥前刀の最骨頂と云える一振りです。
出来で明らかに群を抜いており物凄い出来であることは写真でもほんの僅かながらもお伝えできたと思います。
一線を逸脱したこの上なき最高の出来であり、地刃共に忠吉の特色と見所を存分に示した最高の傑作刀で夢のような一振りと言えると思います。
二度と出ない名刀を是非とも家宝にお加え下さい。
三代陸奥は名を橋本新三郎といい、近江大掾忠広の長男として生まれ、父近江大掾忠広が他界する七年前の貞享三年に五十歳で没しており、ほとんど父の代作に従事していたものと考えられます。 長命であった祖父や父と比べて三代忠吉自身の作刀は少なく、地鉄の精緻さや地刃の冴えにおいては初代を凌駕する作品が多く、初代忠吉よりも価格に於いても最も高く評価されています。
近江大掾忠廣は、慶長十九年大坂冬の陣の年に初代肥前忠吉の子として生まれ、幼名を平作郎と称し、後に父と同じ新左衛門に改めた。忠廣は正系を継ぐ要から、寛永九年八月に父忠吉が六十一歳で没した年で忠廣十九歳の時には既に一流刀工としての技術を身につけ、一門を統率して家名を盛り立て、寛永十八年近江大掾を受領、貞享三年、嫡子陸奥守忠吉三代目の亡き後は孫の近江大掾忠吉四代目を指導、元禄六年五月、八十歳の高齢をもって天寿を全う、六十有余年に亘って鍛刀一筋の生涯を貫き、肥前刀の名を世に高らしめた稀代の名工です。